2005年5月4日 

EC特急でプラハへ

 朝早く目覚めた。もともと朝4時に目覚ましはセットしておいたのだが、朝4時は日本時間の午前11時であるから、それより前に目が覚めたとしても何の不思議もない。身支度を終え、朝食にと前日買っておいたバナナを食べる。
 5時少し前には部屋を後にしてチェックアウトをしにカウンターへ向かう。何の問題もなく手続きを終え、タクシーを呼んでもらった。正直早朝なのでタクシー大丈夫だったか不安があった。前日確かめた時は24時間大丈夫だと言われたのだが、果たして…、大丈夫だった。タクシーはすぐに現れ、昨日泊まれなかったPホテルに向かうことにした。なぜか…。もともとホテルの真ん前は駅であるから、駅に行くと言っても変わりはない。理由はタクシー代を払ってもらうためである。結局12-3ユーロだったと思う。ホテルの玄関は閉まっていたが、呼び鈴を押すと開けてくれた。状況を説明し、レシートを渡すとすぐにタクシー代をくれた。まあ、当たり前の話だが。
 駅にはいると、店こそ閉まっているものの人影はある。ヨーロッパの駅は中国の駅のように長距離列車が24時間発着するためだろうか。


早朝でも人影があるウィーン南駅(Wien Südbahnhof)

 朝飯がバナナだけというのはちょっと寂しい。実は事前に有名なパンのチェーン店があることを聞いていた。場所はすぐに分かったが、店が開くのは5:30。開店前に列ができるほどの人気だった。私も並んでサンドイッチとピザパンのようなものを買った。
 その後プラットホームに向かう。プラハ行きの列車は簡単に見つけることができた。


プラハ行きEC76

 指定なのかよく分からないがガラガラなので適当に座る。席は6人が入るコンパートメントに仕切られている。しばらくするとアジア系の女性が入ってきて、英語で座ってもいいか尋ねたので、どうぞと手振りで示す。すると日本語で話しかけてきた。

「どうして日本人と分かりました?」

と尋ねてみると、

「だって、座っていいか尋ねたら、お辞儀したでしょう?」

なるほど、顔では区別がつかないが(爆)、仕草は日本人そのものらしい。彼女曰く、アジア系だと中国人が多いそうだ。
 その後、彼女とはいろいろ話す。彼女の荷物が小さかったことから旅行者ではないと思っていたが、案の定、ウィーンに住まれているそうだ。ジュネーブ、ウィーンと日本メーカーの現地駐在員を重ね、現在はオーストリア人と結婚してウィーンに住んでいるのだという。現在彼女は現地採用として同じ会社におり、今日はチェコのブルノにある工場へ行くのだという。毎週1回はこうして国境を越えて出張するのだという。ブルノはプラハまでの中間あたりで、所要時間は約2時間である。彼女は福島市の飯坂温泉出身だそうだが、私は学生時代仙台に住んでいたので、飯坂温泉は知っていた。

「なぜそんなに標準語で話せるのですか?訛り全く無いですよねえ?」

そう言えば全く同じ事を岩手県のローカル駅で言われたことがある。もう10年以上も前の話だが。学生時代に札幌出身の友人と岩手県に出かけた時のことだ。地元の方から

「どこから来られたのですか?いや、あまりに言葉が標準語なので。」

と聞かれたことがある。いや、私も無意識に方言というか訛りが出ていることはあるのだが、学生時代に故郷を離れて暮らしたこともあり(といっても東京ではなく仙台だが)、抜けてしまったのかも知れない。少なくとも東北地方出身の彼女から見るとそう聞こえたのだろうか。いずれにしても岐阜や名古屋が訛っていないと言うことは断じてない。
 
 こうしていろいろと話し込んだ。彼女からすれば会社の駐在員以外日本人に会うこともないのだろうから、よい話し相手だったのだろうか。約2時間後、彼女とはブルノ駅で別れた。

 また1人になりプラハへ向けひた走る。途中停まったところもあり、プラハへは20分ほど遅れて到着した。前述の女性によれば、5-10分は普通だが、今日は珍しく15分くらい遅れている(ブルノの手前の時点での話)と言っていた。 


プラハ(Praha Holesovice)駅に到着

 まずする事は帰りの切符を買うことである。最初飛び込んだ窓口では買えず別の所へ行くように言われる。なんせ、チェコ語やドイツ語の案内はあるが、英語はないので結構面倒だ。言われた方向に行くとクレジットカード持つ帰るような窓口が見つかり切符を購入。またしても出てきたのは自由席だった。ちなみに運賃だが、行きにウィーンで買った時は43.1ユーロ(約6000円)、帰りのプラハでの購入額は909チェココルナ(約4200円)で結構違うのである。結局両国で物価の差が大きいからなのだろう。
 ATMを探し、2000コルナを引き出す。すると2000コルナ札で出てきてしまった。この紙幣で地下鉄の切符を買おうとしたのだがお釣りがないと言われてしまった。仕方がないのでもう一度ATMへ行き、200コルナを引き出した。
 無事切符を購入し、ホテルに向かった。ホテルの最寄り駅へは地下鉄ですぐ。プラハ自身大して大きな都市ではないので、旅行者には回りやすい。
 プラハのホテルは高い。正直物価が数倍のウィーンのホテルよりも高いのだ。今回のホテルも日本円で1.2万円程度で、大して期待はしていなかったが、まあまあこんなものかと言う程度。実は一つトラブルがあって、どうしても電話をかけられなかった。デポジットのための処理をしてもらい、電話回線を開いてもらっても駄目なのだ。
 チェックイン後、雨も降ってきてしまったので部屋で仕切り直した後、昼食に出かけることにした。部屋で休んでいるうちに雨はやんでいた。ホテルのすぐ近くにカフェテリア式のレストランがあったのでここで済ませることにする。まず思ったこと、物価が安い。ウィーンの半分から数分の1といった感じだ。ビールなど日本円で100円くらいだ。(この時は酒を飲んでないが。)


昼食

 昼食後、観光に出かける。まず向かったのはカレル橋だ。


カレル橋橋塔[左] カレル橋とプラハ城を望む[右]

 カレル橋では操り人形でパフォーマンスをするご老人を見かけた。


操り人形

 その後歩いて王宮に向かう。王宮は写真でも分かるとおり小高い丘の上に建っている。残念ながら小雨模様である。


カレル橋からプラハ城へ向かう

 しばらく歩くと王宮に到着。プラハはそれほど大きな都市ではないので、移動にはそれほど時間がかからない。入場券を買って中に入る。まず目を引くのは聖ヴィート大聖堂だ。残念ながら真ん中の建物には修復のための足場のようなものがかけられている。


 聖ヴィート大聖堂(左は内部)

 存在感が凄く、そびえ立っている感じだ。そのほかいろいろ見て回る。


後で登ることになる南塔[左]


城の横には「変身」で有名なカフカが文筆活動に専念した仕事場がある

 一通り見て回り、まだ一つだけ見ていないところがあることに気がついた。すると…南塔に登ることができるようで登ってみることにする。螺旋階段になっていて狭い。降りてくる人がいるとすれ違うのも結構難儀だ。登れど登れどつかないし、螺旋階段なので目が回ってくる。後から分かったことだが、塔階段の入り口には、287段あるという注意書きが掲げられていた。しかし、てっぺんから見下ろすプラハ市街は絶景だった。


プラハ城南塔から見下ろすプラハ市街の景色[左] 注意書きの看板[右]

 南塔登りは普段運動不足なので正直体にこたえた。翌日は見事な筋肉痛だった。そもそもここに至るまでかなりの距離を歩いているわけで、まさにとどめだった。
 一通り回った後に裏手へ抜ける。


裏手から眺めるプラハ城[左] プラハのトラム[右]

 近くからトラムが出ていたのでこれで帰途につくことにする。地下鉄駅までたどり着いた時に失敗をしでかしたことに気がつく。ガイドブックがないのである。考えられる原因としてはさっき裏手からプラハ城を撮影した時に置き忘れたとしか考えられない。しかも図書館からの借り物である。急いで切符を買うことにする。時間は夕方5時。明日の18時の列車でウィーンに戻るわけだから、少し冷静になって、24時間有効の切符を購入することにする。引き返しのトラムの中で冷静になって状況を考える。仮に出てこなかった場合でも、下調べしたノートにプラハの地図が貼ってある。地図には当然観光名所も入っているから、明日の旧市街の散策も最低限の観光はできそうだ。引き返して辺りを探したが残念ながらない。あきらめて帰途につく。
 ホテルまで戻り、一休みした後に近くのレストランで夕食を食べることにした。まあ、それなりの場所だったが安いのはありがたい。牛ステーキを食べた。


ステーキ

 こうして1日終了。正直運動不足がたたって体中が痛かった。明日は旧市街を観光するつもりだが、ガイドブックをなくしてしまったのでちょっと厄介である。