朝起き、チェックアウトをするべくカウンターへ向かう。人ごみで結局手続きを終えるのに15分ぐらい掛かってしまった。チェックインの方では服務員がおしゃべりしているのに、いかにも中国らしい。私の担当ではないといったところか。
朝飯は昨日水餃を食べた食堂。今度は炒飯が食べたかったのでメニューを見ると蛋炒飯があったのでこれを頼んだが、味が単調な感じ。
蛋炒飯
食べ終わり、店を出て軟座だったので軟座用の待合室へ向かった。さすがにきれいな部屋だった。
軟座用の待合室
列車の改札が始まったので列車に向かった。列車の内部は以下のとおり。
軟座車車内
デッキへの扉の上に電光掲示板が装備されていて、列車速度、次の主要駅(停車駅とは限らない)までの所要時間が表示される。このため、地図を見ながら今どこに居るのか確認する事が出来た。列車は、途中蘇州、無錫などを通過したが、停車したのは無錫のみだった。列車は上海の近くでは140km/hオーバーで走っていたが、離れた後は最高速120km/hぐらいだった。こうして、3時間弱で南京へ到着した。南京まで300kmぐらいの距離だったと思うからまずまずの速度だと思う。
南京站到了
駅を出ると切符売り場があったので早速明後日の杭州の切符を頼むとあっさり発券された。よかったよかった。そのままタクシーに乗り、南ドンさんが手配をしておいてくれた南京大学の西苑へ向かった。西苑は南京大学内にある宿泊施設で、学生の親戚や外国人留学生などが使用するらしい。基本的に大学関係者しか居ないため治安もよく。また設備も一通りそろっているためになかなか快適なホテルだった。こういう施設が大学にあるわけだから中国の大学というのは恵まれている。
部屋からとりあえず今回お世話になる南ドンさんへ連絡の電話を入れた。「意外に早く到着できましたね。」とのことだった。
この後、バスに乗って玄武湖公園へ向かう事にした。まだ、昼飯を食べていなかったので、公園前の食堂で肉絲炒飯を食べた。
肉絲炒飯
そして、公園へむかった。大きな玄武門をくぐると広大な公園が広がっていた。玄武湖もとても大きく、この日曇っていたこともあって、対岸が霞んで見えないほどだ。
玄武門[左] 玄武湖[右]
玄武湖公園にはこんなオブジェも
玄武湖公園はとても広い。しばらくうろうろした後、雲行きも怪しくなってきたので建物の中がいいと思い、南京大虐殺記念館へ向かう事にした。バスで向かったが、南京はバス停とバス停が離れているし、しかも同じ名前のバス停で乗り換えようにも、これまた結構離れていたりするので大変だ。
立派で新しい侵華日軍南京大屠殺紀念館
自分は広島の原爆記念館にも行ったことがあるが、南京の記念館はまず新しいと感じた。あちこちに時折信憑性について物議をかもす犠牲者30万の数字が掲げられている。それもそのはず。1980年代半ばになって建てられたものだそうだからだ。南京大虐殺は1937年の事件で、50年近くも経ってから調査が始まったということなのだろう。証言者の写真も掲示されているが既に年老いた人のものばかりだった。
こんな事もあって、展示されている資料もきちんと整理されているとはいい難く、戦後、国共内戦、大躍進、文化大革命と混乱が続き、事件が風化してから調査せざるを得なかった現実を浮き彫りにしている感じだ。たとえば、30万人の犠牲者がどのような調査の元にはじき出されたかなどというのはわからないのだ。もちろん、そこに展示されている資料から、そこでいかに悲惨な事件が起こったか垣間見る事はできるし、必ずしも犠牲者数が重要なわけではない。しかし、これだけの事がおきたのであるから科学的な検証を加えきちんと整理してほしいもの。それが後世の人々への戒めにもなるはずだし、説得力も増すはずだ。
西苑に戻りくつろいでいると南ドンさんから連絡があり、真ん前のレストランで食事となった。ダックといい他の料理といいおいしかった。
おいしかった料理
この後、南ドンさん夫妻と街へ出た。中心地の賑わいを見た後、日本人の方が南京で経営する日本食レストラン潜水艇へと向かった。ここは、南京で暮らす日本人の集まる場所となっていて、集まっておられた方々は個性的で楽しい方ばかりだった。おかげで楽しいひと時を過ごすことが出来た。
潜水艇にて皆様と