99/12/31(金)

香港へそしてカウントダウン

 朝、近くの食堂に入って朝食摂った。洋式の目玉焼きとソーセージが出てきたのには驚いた(セットだった。)。

 ホテルに戻り、荷物をまとめてカウンターへ行き、チェックアウトをしようとすると、なんか言って来る。残念ながら今日は英語を話せる人が居ないようなので、
「請写一下!」(チンシエイーシャー!:書いてください。)
と言って筆談をお願いしたところ、髭剃りを忘れているよとの事。
支払いを終えたあと、
「不好意思」(プーハオイース:お恥ずかしい。)
と言って部屋へ取りに行った。無事回収しホテルを後にした。

 歩いて旧国境を渡り、香港へ入境した。

 再び油麻地のYMCAに向かいチェックインした。今度の部屋は16階で、バスタブも冷蔵庫もあった。また2000年問題に備えて懐中電灯がおかれていた。


懐中電灯と注意書きが部屋に置かれていた

 今日会う予定の香港関連のMLの知り合いSさんと連絡を電話でとった。とりあえず会うのは夕方にして、昼食を食べに街へ出た。結局話のネタにと重慶大厦のインド、パキスタン料理屋ででカレーを食べた。あまりおいしくなかった。


チキンカレーライスを食べた。客は全て南アジア系の人だった。

 食事を終え、HMVへ向かった。実は、出発前に王菲のコンサートCDが年末にリリースされると聞いていたからである。噂どおりリリースされていた。140ドルはちょっと高いが買うことにした。試聴コーナーにこのCDが置かれていたのでつい、20分ぐらい聞きこんでしまった。ちょうど1年前この香港で聞いたコンサートのCDをやっぱり香港で聞いていると言うのはなかなか感慨深い話である。
 その後、あちこちをうろうろしてお土産としてお茶を買ったりスターフェリーに乗ったりした。
 夕方になり、ホテルに戻りひと風呂浴びてから(2000年問題で入れなくなるかもしれないので)、Sさんと落ち合った。なんと、彼女偶然にも私の母校の私の出身研究室がある同じ組織の研究室で助手をなさっていると言うのだから世の中狭い。その後下町で食事をし、カウントダウンをする場所を探すべくいろいろとうろついた。尖沙咀、蘭桂坊…。結局、ビクトリア湾に面した尖沙咀の広場で年明けを待つことにした。大きなスクリーンにはちょうど王菲が映し出され、「郵差」を熱唱していた。


蘭桂坊の賑わい[左]  クリスマスの電飾[右]


ビクトリア湾の夜景


闇夜に浮かび上がるフェイさま。しかし、日本のレコード大賞でのシーンを見られなかった



 本当にきれいな夜景。周りは次第に人で埋め尽くされていった。対面の香港島側のビルにはあとどれだけで新年かが電飾され表示されていた。
 広東語でカウントダウンが始まった。

「十(サップ)、九(ガウ)、八(パッ)、七(チャッ)、六(ロッ)、五(ム)、四(セイ)、三(サム)、二(イー)、一(ヤッ)、好[口野](ホウイエー:すばらしい)!」

 どうやら、停電することもなく無事新年を迎えたようだ。携帯電話で話している人もいるから、電話も大丈夫みたい。ちょっとほっとする。

 特に何のアトラクションもないし、明日早いのでSさんとも別れ、ホテルに帰ることにした。広いネイザンロードは人で埋め尽くされ、とても地下鉄に乗れそうな状態ではなかったので、2kmあまり、歩いて帰ることにした。しかし、凄い人、あの広いネイザンロードが満員電車のようで歩行者天国状態である。


人人人…

 こうして、ホテルに帰り目覚ましをセットして寝ることにした。
 

2000/1/1(土)

 今回の旅行はこれで終わる予定であったが、現実には、もうひと騒動起きてしまった。夜中に気分が悪くて目が覚め、そのまま朝に。何とか、チェックアウトを済ませ歩き出したものの、すぐに胃の中のものを吐いてしまった。前に食べてから12時間も経っているのに消化できていないみたいだった。さらに、おなかも痛くなって飛行場でトイレに駆け込む羽目に。
 その後は幾分落ち着いた。いや、一時はどうなることかと…。機内で、調子が悪いので機内食を断ると、検疫の用紙を持ってきた。まあ、しかし、大した事はなかったので結局すぐに通してもらえたのだが。もし、僕の旅行地が中国と香港でなかったら帰してもらえなかったかもしれない…。
 こうして、今回の旅行は終わった。ちょっと食いすぎたなと言うのが反省点。12時間も経ってからあたるというのは考えにくいし、やっぱり、弱っているところで胃腸がストライキしたと言うのが真相ではないだろうか。大晦日の晩に同じ物を一緒に食べたSさんにも確認はしてみるつもりだが…。