99/12/26(日)

廣州へ何とか到着

 朝起きて、チェックアウト後、荷物を預かってもらった後、飲茶へ行く事にした。同じく「倫敦大酒楼」だ。


今日の飲茶

 ホテルに戻り荷物を返してもらおうと係員に札を渡すと見当違いのところを探し始めた。そこで、
「先生!我ge行李hai gou dou a!」(シンサーン! ゴーケハンレイハイゴウトウア!:すみません、私の荷物はあっちです。)
「ni 個係我ke行李」(ニーコハイゴーケハンレイ:これが僕の荷物です。)
と広東語で説明すると、笑みを浮かべてsorryといわれ返してもらえた。やれやれ、広東語が通じてよかった。(この手の係員は英語が通じないことが多く、広東語で説明するしかない。)
 昨日と同じくバスに乗ってホンハム駅へ向かい、列車を待った。風邪が悪化して相当につらかった。


ホンハム駅直通列車のゲート

 改札は列車ごとに行われていて、改札を通りすぎるとイミグレーションがあり、出境手続きを行う。この後また、プラットホームの手前で待たされることに。この待合所の売店でジュースを買うと、応対は北京語だった。いかにも大陸へ向かう列車の発車する駅の待合所である。プラットホームへ通されると電車は既に入線していた。車体外側の文字は全て簡体字で書かれていて、大陸の電車である事を物語る。


中国ご自慢の新時速(最高速度は時速200km)全て国産のようだが、なんとなく垢抜けないデザイン


新時速車内の様子。飛行機のように車内誌や読書灯も備え付けられていた。

 車内の入ってまず思ったのが、車掌さん(全て女性)が大陸の人だと感じたということ。やっぱり香港人とは表情だとかが違うのである。うまく表現できないのだが。あと、大陸の女性は働くとき、ほぼ確実にズボンである。
 車内では、飲み物やおしぼりのサービスがある。ためしにジュースを頼むととてつもなくまずかった。しかし、やっぱり飲み干さないといけなんだろうなあ…。


配られたジュースとお手拭。ジュースはとてつもなくまずかったが、仕方なく飲み干した。

 途中、深センまでは、KCRを抜くこともなくゆっくりと列車は進む。実際、深センまで40分あまりかかっていたので、普通列車とかわらないのではないか。旧国境に差し掛かると、監視員が機関銃を握って監視しているのが印象的だった。深せん駅をゆっくりと通過し、列車は速度を上げた。
 途中の車窓は、都市と田園地帯のまだらであるが、結構人口密度が高い地域なので、そんなに辺鄙なところはない。あまり中国らしくはないかもしれない。


列車からの車窓(深セン-広州間)

 途中、もう広州まであと一歩というところで列車が停止する。結局40分ほどそこで停止していた。説明があったが、残念ながら広東語と北京語のみだったので僕にはわからなかった。結局、広州東駅には1時間ほど遅れて到着した。
 この前来た広州駅と比べ、広州東駅はそんなに混んでもおらず、比較的きれいな建物だった。トイレを探して入ると2角(3円ぐらい)取られた。駅は、ホテルの客引きでいっぱいで何度か声をかけられた。
 駅前に出てタクシーを拾った。運転手に向かって

「司機!去機場!」(シージー!チージーチャン!:運転手さん 飛行場へ行って。)
と北京語でいうと、一発で通じ感動した。言葉ができないとわかるとぼったくられるのではないかと思い、できる限り話をすることにした。僕が話したのは、空港に行って中国人の友人に会う予定だ。僕は日本人だ。といった感じのことであった。広東語で広東語わかりますかと尋ねるとできるとの答えだった。広州の人はほとんどの人が広東語と北京語のバイリンガルのようである。30分ぐらいで白雲国際機場に到着した。支払いに50元札を出すと、偽札でないかチェックしているようだった。50元札、100元札は偽札が出回っているそうなのでご注意あれ。
 空港では1時間以上時間があったので、レストランで食事をすることにした。片言の北京語と英語でちょっと小姐と話し込む。時間も時間で暇そうなようだ。やはり、日本人は珍しいのか。


この大きさではわからないかもしれませんが、地図上日本が凄い形にデフォルメされている…。
安全第一、正常飛行、優質服務、求実、創新、廉潔…。いかにも中国的スローガン

 Lさんが乗ってくる飛行機が到着したというアナウンスがあったので、出口へ向かう。2つ出口があるが多分こっちからだろうと右側のゲート前に立つ。なかなか、現れずびびったが、結局無事会うことができた。いえ、風邪を引いてだるくてしょうがなかったので、重い荷物を背負ってホテルを探す気力が残っているか不安だったのです。