99/8/1(日)

名古屋空港から台北へ


 今日は朝から早い…。名古屋空港から朝9:10発の台北行きに乗るためには家を5時半頃には出ないと間に合わないのである。名古屋駅には6時過ぎに着いたものの、この時間は名鉄バスセンターからしか空港行きがない。空港には7時過ぎに到着した。
 空港ターミナルは最近できた新しいものである。


名古屋空港新国際線ターミナルビル

 お金を下ろそうと、シティーのATMを探すも案内図には書いてない。結局うろうろ歩きまわってやっと見つけた。空港の案内図からは脱落しているようだった。
 チケットを受け取り、チェックインする。そして搭乗検査をするところへ向かうが、結局ゲートは8時近くまで開かず、30分ほど待たされた。

 飛行機に乗りこむ。A300-600のようである。事故機と同型機だ…。まあ、チャイナエアラインの事故率がダントツに高いとはいえ、10万回に1回強であるが…。ここを参照の事。

 乗りこむと、空中小姐が皆きれいである事に気づく。後で、台北-香港便に乗ってみて気づいたのだが、どうやらルックスで日本便の空中小姐を決めているような感じだ。シンガポール航空ほどえげつなくはないけれども。
 しばらくすると飲み物を持ってきたので、台灣ビールを取った。なかなかおいしかった。そして機内食。チャイナエアラインの機内食はよく批評されているけど、特にまずくもうまくもなかった。
 こうして順調に台北に到着した。
 

中正機場から台北站へ

 空港で入境手続きをすませ、ATMを探す。シティーのカードも使え、4000元ほど下ろした。
 今回は2度目なので、迷うことなくバスに乗る事ができた。バスに乗ると、隣は白人の観光客だった。しばらくするとこの人がなんと中国語で話し掛けてきた。日本人だというと英語に変わった。この人はフランス人のコンピュータエンジニアで勉強して中国語もできるようだった。台湾が好きで訪台は2度目だと言う。この人は台北站に着くまでいろいろと話をした。バックパーカーと言う感じで2週間ほど滞在し、宿も一泊3000円あまりの安宿のようだった。
 ホテルにチェックインする。この前泊まった「華華大飯店」なのですぐにわかった。部屋に来るとなんと掃除が完了していなくてシーツやタオルが床に置いたまま。電話で窮状を訴えようと英語で話すと通じず。そこで、日本語にかえたら簡単に通じた。どうやら英語はできなくても日本語はできるようであった。(そんなに年を召した方の声には聞こえなかった。)さすがは台湾である。
 実は、出発直前に台湾人友人が一緒にどこか行こうと声をかけてきていて、約束の時間が14:00だった。まだ、1時間以上あったので街をぶらつく事にする。二二八紀念公園に向かう。
 

二二八紀念公園。亜熱帯台湾を感じる風景

 台湾は特別暑くなかったが、やっぱりのどが渇いたので、自販機で沙士を買って飲んだ。今回はじめての沙士。
 

「悲情城市」の舞台、九分(ジウフェン)へ(正確にはにんべんに分です。)

 ホテルに戻り、友人と落ち合う。このうち一人は初めて会う人で、ボストンで育ちとのこと。周りがうるさい中で(言い訳)フルスピードのアメリカ英語に圧倒される…。うーん台湾で英語に圧倒されるとは…。
 こうして、集まった3人のうち2人と九分に向かうことになる。この二人は余り英語はうまくないが、片言の北京語、英語と筆談でコミュニケーションを取る。今回もお金を僕に払わせてくれるとは思えなかったので、日本の雑誌をお土産として渡した。
 僕はこの九分(じゅうふぇん)の事を全く知らなかったのだが、有名な台湾映画「悲情城市」の舞台となったところのようだった。残念ながら、僕はこの映画のタイトルを知っているだけで、見た事はない。
 台北車站で優等列車に乗る。席は指定だったが、客車をディーゼル機関車が引くタイプ。速度も30か40km/hしか出ていない感じで列車はのんびりと北へ向かった。実際、30kmあまりの距離を50分近くかけて結んでいるようだった。いろいろしゃべっていると瑞芳車站に到着した。


瑞芳車站周辺の様子。台北から30kmほど北東へ行ったところ

 ここでバスに乗り、程なくすると九分に到着した。観光地として有名なようで人でごった返していた。道路も観光客の駐車車輛でいっぱいである。途中で店に入り、魚から作った団子のようなものを食べた。なかなか美味。その他にも芋から作った団子?や草もちのような饅頭(但し甘くない)も食べた。さらに、喫茶店に入り洛神花茶を飲んだ。
 その後、海岸や街中を歩く。本当にきれいな夕日であった。


きれいな夕日


映画「悲情城市」の舞台となった九分
 


きれいな海岸線

 こうして、九分をめぐった後、バスで基隆(チーロン)へ向かった。
 

基隆(チーロン)夜市

 基隆へはバスで30分ぐらいだったろうか。港町基隆は沖縄からフェリーが出ていたが最近船会社の倒産で廃止されてしまったとの事。基隆はそんなに大きな都市とは思えなかったが、夜市の賑わいはすごかった。


基隆夜市の賑わい

 夜市ではいろいろなものをつまんだ。ウナギも食べたし、ここの名物というかき氷のようなアイスクリームのような食べ物も食べた。

 この後、基隆站から列車に乗って台北へ戻った。今度は通勤電車。このままホテルに戻り一日が終わった。全くをもって台湾友人2人には感謝である。