98/12/25(金)

関西国際空港へ

 今回の旅行は関西国際空港からの出発である。私は名古屋近郊(といっても岐阜県大垣市だが)に住んでおり、最寄りの空港は名古屋空港なのだが、チケットの入手がうまく行かず、結局、関空発を利用する羽目になってしまったのである。繁忙期の初動の遅れは致命的だということを痛感した。でも、関空発のチケットは名古屋発のより安いので、一泊して関空発を使う羽目になったとはいえ、滅茶苦茶高くなった訳ではないのがせめてもの救いだ。関空近くの安宿を後にした私は、10:00発のCX565に乗るべく南海電車で関空へ向かった。寒い朝だ。そう言えば去年の広州行きも12/25関空朝10:00発だったっけ。
 空港のCITIBANKのカードで現金を下ろし、出国審査を経て飛行機に乗った。このCX565は台北経由で香港へ向かうキャセイパシフィックの便で、機材はボーイング777-300である。この機材は定員はジャンボに迫り、機体の長さはジャンボよりも長く世界最長の旅客機である。僕の席は後ろのほうであったため長さを実感する。各座席にはインフォメーションディスプレーが装備されていた。乗客は定員の3割程度でガラガラである。手続きがスムーズだったのか定刻より10分早く出発した。途中機内食は牛ステーキを頼む。


B777-300から見る景色。雲海がきれい

台北へ到着

 台北中正國際機場へは定刻より20分ほど前の12:00前には到着した。ちなみに中正とは蒋介石のことである。初めての台湾入境審査へ向かう。ノービザの場合、2週間滞在できるのだが、第3国へ向かうチケットが必要のはずである。しかし、私の場合、手に持ったままだったが何も聞かれなかった。無事入境。おお、中華民國(R.O.C.)の判がパスポートに押されている。両替へ向かう。ちなみに台湾とは国交がないこともあって台湾ドルは日本では両替できないのでご注意あれ。加えて5000元(約2万円)以上の持ち出しも御法度である。僕は2万円交換したが、前のおやじは16万円も交換していた。いったい何を買うのだろうか??


台北郊外を飛行機から望む。日本の田舎とよく似た景色

 さて、バスに乗らねばと思うがさっそくやらかしてしまう。バス乗り場は見つかったがバスに近づくと係員に大きな声で「[口畏]! #$%#!」と怒鳴られ指差される。ちなみに僕が理解できた北京語は初めてにして[口畏](おい!の意味)のみ。情けない。どうやら、皆さんチケットを買って長い列に並んでいるようだった。初めていかれる方は。1.窓口でチケットを買う。2.列に並ぶ。3.バスに乗る。座席定員以上は乗れない。という手順をお忘れなく。
 バスに乗って片側5車線もある高速道路を走る。道端の両側の花壇には赤い花が咲き乱れていた。さすがに亜熱帯、12月でも花が咲くのである。1時間余りでバスは台北車站近くに到着した。そこはすごい喧騒。香港のものに勝るとも劣らない。ただ、違うのは二輪車が多く、2サイクルエンジンの甲高い音とクラクションでやかましいということである。香港の場合、摩天楼の間の道路にこだまするバスのエンジン音が主原因のような気がするのでちょっと違う。台北に行く方は交通事故には十分気をつけたほうがいい。横断歩道を渡るときは注意が必要だ。後は、ビルの継ぎ目の歩道の段差も要注意。地図を片手に「華華大飯店」を探し、チェックインした。
 台北の友人に会うまでにまだ時間があったので、ぶらぶら街歩きに出かけた。友人に教えてもらったCD屋に向かい購入。しかし凄い人で店内身動き取れない。万引き防止の見張りが店内いたるところの台の上に立っている。歩道もバイクの駐輪で狭くなっているので凄い人。でも、本当に活気がある。日本の不況が嘘のよう。
 まだ時間があったので、歩いて総統府(旧台湾総督府)へ向かった。辺りにはあちこちに中華民國萬歳とか三民主義萬歳とか書かれていてちょっと物々しい。


総統府(旧台湾総督府)[左]  中華民國萬歳、三民主義萬歳と[右]

台北小姐2人と…

 ここで、ホテルに戻り、しきり直す。4時から友人の台湾人とその友人に案内してもらうためである。ホテルロビーで待ち合わせだ。挨拶のやり取りの北京語の発音をフロントで尋ねる。フロントの人は日本語ができた。ロビーのソファーで待っているとさっきの僕のやり取りを見ていたホテルの従業員のおじいさん(65歳ぐらいか)が、パンフレットを片手に流暢な日本語で話しかけてきた。そして、日本語と中国語の対応表のページを開き、その一つ一つを読んで、親切にも僕に聞かせてくださったのである。これには本当に驚いた。おじいさんはもう老眼のようでルーペを片手に一つ一つ笑顔で読み上げていく。その穏やかな表情は、まるで孫に絵本でも読んでいるようでもあった。そして、すべて読み上げると、旅行に役立ててくださいとその、リーフレットを私にくださった。このおじいさんの優しさには本当に頭が下がる思いだった。おじいさんの日本語は完璧で、小さな頃に日本語教育を受けた世代なのであろう。ガイドブックには、台湾人(本省人)の老人は流暢な日本語を話し、親切かつ親日的で、日本人が失った武士魂を持ち続けているなんて書いてある本もあったが、こうしてその事実を体験することができた。
 友人とは初対面であったが、問題なく会うことができた。彼女らは街のCD屋、そして士林夜市を案内してくれた。友人の王さん(Sophie)には、以前、僕から彼女が手に入れたがっていた中華明星の日本盤のCDを送ってあげたことがある。彼女らについて街へ出かける。彼女は日本由来のものを街中で見つけると、うれしそうにいろいろと教えてくれた。日本とは私たちにとってこんなに身近な国なんだといわんばかりだった。彼女らは英語があまりうまくなかったが、片言の英語と筆談で会話することができた。本当にいろいろなことを話した。中華明星のこと、日本のこと、台湾のこと。Sophieは広東語もほぼ完璧なので、僕の片言の広東語も使った。(本当に片言。)こうして考えてみると、お互い完璧に通じる言葉がないというのが信じられないくらい多くのことを話した。こうして案内している間に心苦しいこと一つ。どうしても僕に勘定を払わせてくれないのである。食事、タクシーなどお金を払うタイミングは何度かあったのだが、どうしても「NoNo」といって受け取ってくれないので、遂にはあきらめて、彼女たちのご馳走になってしまった。
 最後にお茶屋へ連れていってくれた。ここでお土産としてお茶を買った。彼女らのおかげで、台湾が初めての僕だがスムーズに旅行することができた。
 彼女らと別れ、旅行第一日目は終わった。本当に台湾の人々の温かさに感動させられた第一日目であった。そして、北京語ができないために十分に感謝の意を表せなく、もどかしい一日でもあった。