私は機械モノを買うのが趣味だ。しかもこだわりがあるので(ほぼオタク)、多くの場合下調べをして指定買いだ。店頭で店員の意見もまず聞かない。最近、あまり評論家の意見を参考にしなくなった。
以前といってもインターネットが広く普及する15年くらい前までは、例えば車を買うなら、自動車雑誌の自動車評論家の記事を参考にすることもあったと思う。メディアと言えばテレビか雑誌が中心だった。しかし、インターネットの普及で、直接購入したユーザーの使用感を調べることが可能になると、雑誌、インターネットを含めて評論家の記事は、徐々に参考にしなくなっていった。
実際のユーザーは、商品評価の目は少々稚拙かもしれないが、利害関係なく自由に書くことができる。一方で機械モノの評論を生業としている評論家はどうしてもその生産メーカーと利害関係が生じる。多くの場合、その商品を無償で提供されたり、あるいはメディアのスポンサーだったり。これでまともな批評などできるわけはないと思う。
実際に、スマホ×2機種を購入した後に、自分が感じた使用感と評論家のレビューの差に驚いた経験がある。そのスマホ×2機種はいずれもどうしようもなくデキが悪いものだったが、両機種ともに評論家に褒めちぎられ、ちょっとばかり欠点が書かれていたと記憶している。これでは殆ど参考にならない。しかもそのうち1機種の記事を執筆したのは、名が知れた古株の評論家。評論をする目が稚拙、経験不足とは考えにくい。そしてむしろ某巨大掲示板に集まる辛口の感想/評価/問題点のほうがよほどあてになると確信したのだった。
製造メーカーから直接/間接の収入を得ている以上、評論家は決定的な欠点をメディアに書くことは出来ないし、それを抜きにしてもせいぜい数時間使用してのレビューなど製品の問題点を探るにはあまりにも使用時間が短く、大して役に立たない記事となるのだろう。だから、私は評論家の記事はせいぜい機能の紹介か、バイアスがかけにくい評価実験結果程度しか参考にしない。
このように私は徐々に評論家の意見が役に立たないと思うようになってきたのだが、それが確信に変わったのはNHKの連続テレビドラマ「とと姉ちゃん」を見てからだと思う。モデルとなった雑誌「暮しの手帖」は、実際公正な評価を書くために一切広告を掲載しなかった(正確には1回のみ化粧品だったかの広告を掲載)そうで、評論家が如何に欠点を批評しづらいかを如実に示していると思う。